歴史鉄塔研究所

黒部幹線

1927年(昭和2年)建設

愛本変電所から京南変電所まで343Kmで結ぶ(当時) 

黒部幹線(東京幹線)は日本電力により建設され昭和2年2月に運開した送電線です。

当初区間は

(関西電力11 柳河原線(愛本山線)(より抜粋)

柳河原水力発電所〜愛本変電所・・柳河原線(山線)

愛本変電所〜笹津変電所・・・・柳河原線(大阪里線)

愛本変電所〜京南変電所・・・・東京幹線(東京里線)

となっていたようです。

黒部幹線の完成時から終戦後の東京電力誕生の頃までの主な動きは

1930年(昭和5年)青梅開閉所から分岐線路として京北支線(京北線)を建設しました。

1943年(昭和18年)黒部幹線315号へ水内支線が接続されました。

水内支線は水内水力発電所からの連絡線で発電所の新設に伴うもので

この接続鉄塔は現在の新町開閉所にあたります。

戦時中はその経過地域の特性から度重なる線路移転が指示され(軍部及びGHQより)繰り替えされました。

主なものは

線路移転年月

移転鉄塔基数

場所(当時の住所)

移転の目的
京北支線 S14年10月

21基

埼玉県入間郡

飛行場の建設拡張

(現在の入間基地)
黒部幹線 S15年6月

33基

埼玉県入間郡

飛行場の建設拡張

(現在の横田基地)
黒部幹線 S15年15月

13基

埼玉県入間郡

飛行場の建設拡張

(現在の入間基地)
黒部幹線 S18年10月

21基

東京都南多摩郡

軍事施設の拡張

(現在の米軍施設)

(多摩レクリエーションセンター)
黒部幹線 S21年7月

35基(開閉所移転あり)

東京都北多摩郡

飛行場の建設拡張

(現在の横田基地)
京北支線 S22年5月

29基

埼玉県入間郡

飛行場の建設拡張

(現在の入間基地)

黒部幹線が現在の横田基地や入間基地に隣接していたことから支障移転が繰り替えされました。

21年7月の黒部幹線移転に伴い青梅開閉所(現在の青梅線80号付近)が廃止され豊岡開閉所が移転新設されました。

ちなみに、京北支線の14年10月の移転指示は日本の軍部で22年5月はGHQの指示によるものです。

戦前(戦中)は日本による命令、戦後はGHQの命令と同じ基地の拡張が進められたことから

一部では同じ区間で再度移転が生じたようです。

移転は繰り返されましたが黒部幹線、京北支線共に、これらの軍施設の電源供給を担うこととなり

他の線路より優先的に修繕(爆撃によるの断線復旧など)されていました。

現在の黒部幹線は新町開閉所から奥秩父変電所までとなっています。

奥秩父変電所から老番側は一部で原型鉄塔が残った改名区間がありますがそのほとんどが増強されています。

(以下工事中)

黒部北幹線

黒部北幹線は黒部幹線から改名された線路で愛本変電所から新町開閉所までを約300基の鉄塔で

結んでいましたが平成13年に廃止され送電設備も除却されました。

黒部北幹線1 愛本変電所 黒部北幹線2 電気化学工業付近
黒部北幹線3 姫七水力発電所 黒部北幹線4 253号
黒部北幹線5 254号 黒部北幹線6 258号
黒部北幹線7 258号 黒部北幹線8 260号
黒部北幹線9 261号 黒部北幹線10 新町開閉所


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