歴史ある幹線鉄塔

154KV 和田堀線

現在の和田堀線170号鉄塔です。

1939年(昭和14年)12月、従来の八ッ沢線のルートを一部利用して国鉄武蔵境変電所から

 和田堀変電所の区間を建替え誕生した線路です。

八ッ沢線の4回線のうち府中開閉所〜和田堀変電所間を2回線化として

老番側ルート(現、中富線71号66KV車返線交差鉄塔より老番側)を

154KV和田堀線として増強、既設の八ッ沢線2回線は下段に併架しました。

1941年(昭和16年)5月、和田堀線(現、中富線84号)鉄塔より航研線が新設されました。

現在は66KV壱回線のこの線路も運開当時は154KVでした。

1953年(昭和28年)国鉄武蔵境変電所から中東京変電所まで和田掘線が延長されました。

1956年(昭和31年)12月千歳開閉所が千歳変電所となり

府中開閉所〜千歳変電所間が久我山線

千歳変電所〜和田堀変電所間が千堀線

と併架の八ッ沢線の系統と線名が変更となりました。

現在は千歳変電所〜調布変電所間が北歳線

調布変電所(中富線89号)〜府中変電所間が久我山線となっています。

1978年(昭和53年)12月千歳変電所増強改修工事完了に伴い

千歳変電所から和田掘変電所の間は和田掘線

千歳変電所から中東京変電所の間は中富線

となり現在は

千歳変電所から武蔵野線でお馴染みの武蔵赤坂変電所までが中富線

武蔵赤坂変電所から中東京変電所の間は旭が丘線となっています。

1978年12月千歳変電所増強改修工事完了で消滅してしまいましたが、

川世線併架の千南線と北歳線が変電所北側で単独線路として連絡していました。

尖ってない独特の雰囲気だった・・

建替前の170号鉄塔(昭和53年撮影)

昭和62年から千歳変電所〜和田堀変電所間の和田掘線の増強が行われました。

 

建替前の171号鉄塔(昭和53年撮影 左)

右は架空地線の遮へい角度変更改造した”尖った”170号の建て替え直前の姿です。

建替後の171号鉄塔、奥は170号(平成1年撮影)

この増強で既設併架の千堀線は、千歳変電所〜高井戸変電所間までとなり名称も北烏山線となりました。

建替中の168号”完成した基礎” 後は北堀線12号です。

千歳変電所の老番側の和田堀線157号鉄塔は建設当時のままの鉄塔です。

1978年の増強改修工事でケーブル引込化の改造がなされています。

和田堀線、中富線、旭ヶ丘線を通して建設当時から残る鉄塔はこの1基だけとなっています。

なお、和田堀線では中央自動車道建設で上部横断箇所に該当する162号162の1号の

2基(1971年建替)のみが昭和62年からの和田掘線増強でも架空地線部の改造のみで現在も残っています。

 

建設当時の和田堀線157号鉄塔の上部をよく見ると・・

工事用接地板の横に接地中を示す”接地旗”と同じデザインの”接地指示札”が・・

昭和62年からの和田掘線増強でその姿を消した鉄塔群にもこの”接地指示札”はありました・・

千歳変電所の若番側の複導体になった中富線106号鉄塔です。

1978年の増強改修工事でケーブル引込化のために、この鉄塔は建替えられました。

そして平成に入り中富線増強(全線建替、複導体化)に伴い現在の鉄塔へと

建設当時から数えて三代目の鉄塔となっています。

現在の国鉄(JR)武蔵境変電所の接続付近です。

右が中富線で昭和28年ここから中東京変電所に延ばされ武蔵境変電所との接続は解除されました。

 

建替直前の中富線と半分新しい懸垂がいしに取替えられた”がいし連”

茶がいしをさかいに色が違います。(建替えまでの暫定期間のみ実施・・平成元年撮影)


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